2012/09/01

【弾けないことは罪ではない】



僕が現在所属しているアマチュア弦楽合奏団“アンサンブルvio神戸”での経験談を。
vioでの練習に限らず、初心者からはじめて間もない者や大人になってから楽器を手にした者たちが、引け目を感じつつ隠れるように合奏に加わっている光景を見かけることがある。そのたび僕は、とても悲しくなる。ゆがめられたアマチュア奏者間の人間模様に、遣る瀬ない気持ちを禁じえない。


弾けないことは罪なのだろうか?
…否、断じて違う!

技量によるヒエラルキーを組み上げ、劣等感を抱かせつつ合奏に加わらせる団体ほど馬鹿げたものはない。もしそうであるならば、僕は自らの手でvioを解体してしまおうと強く思う。

vioは、例年5月の定期演奏会を節目として活動する団体だ。だが、演奏会のステージで輝くことだけがすべてではない。年に一度の甲子園を目指して、汗にまみれ血ヘドを吐きつつ猛練習に耐える団体にしたくはないのだ。

願わくば毎回の練習を都度充実させ、集まるごとに楽しい音楽の時間を共有したいと考えている。弾ける弾けないはひとまずおいといて、演奏技術面だけにフォーカスすることなく、ただ純粋に弦楽合奏の喜びを分かち合うきっかけになればと。なにかを強制し、義務感めいたものを背負い込ませるつもりなど微塵もないのだ。

ところが…。メンバーから“弾ける人”とのレッテルを貼られてしまっている僕が誘えば誘うほど、悩ましいジレンマが生じる。意に反して、劣等感を抱かせてしまうことになる。そんなつもりなど微塵もないのに。…ともあれ思いを正しく伝えることは、どこまでも難しい。

翻って僕自身のルーツをたどれば、今現実に直面しているこういったもろもろの問題が、いかに馬鹿げたものであるかご理解いただけると思う。
弾けないことは罪ではない】という発想が出てくるのは、僕としてはごくごく自然なことなのだ。 





…時さかのぼって、府大オケ入部間もない1年目の春のこと。



まったく畑違いの体育会系から勝手のわからない音楽の世界に飛び込んだ僕は、見るもの触れるもの、何もかもが未知の世界だと感じていた。今、僕が当たり前のように使っている言葉、たとえばBrahmsの交響曲第1番ハ短調作品68を“ぶらいち”と言うことや、ドレミを“CDE”と言い表すこと、オケの練習には“Tutti・セクション・パー練”の3形態あることなど、何も知らなかったがゆえに、とても新鮮に思えると同時に、未知なるモノへの“遠さ”なんかも感じていた。

当時、6月の演奏会に向けてオケ部はBeethovenの7番を練習していた。とても快活な縦ノリの速いパッセージを颯爽と弾く先輩たち。そこに混じって同じく魅惑的な旋律をさらっていた当時の彼女。一方、音楽に関してズブのド素人の僕はと言えば、すぐそばで開放4弦のボウイング練習をちまちまとなぞるだけだった。

当たり前のことと言えば、たしかにそうなんだろう。けど、埋めがたい差や取り残され感、置いてけぼり感なんかを味わって、なんだか無性にせつなかった。遣る瀬ない気持ちを消せやしなかったものだ。もともとが無意味にプライドの高い、劣等感のかたまりみたいな負けず嫌いの性格だったから。何の素養もバックボーンもなく、きのう今日楽器を始めたばかりで、すぐ弾けるようになるはずもないのに。


でも、弾けないことが単純にとてもイヤだった。


初夏の声を聞く頃になると、ようやく僕は1stポジションを教わり、簡単なスケール練習を始めるようになった。D線開放と1の指でレミレミ…を弾きながら、「“おんがく”ってヤツにはまだまだほど遠いナー。」と苦笑したものだ。2の指を参加させてミファミファ…に発展しても、G線、A線、C線へと移っても、その思いは変わらなかった。

そんな折、冬の定演でデビューするオープニング曲の譜面を渡された。全5ページばかりの、今からすれば薄っぺらいVa譜。けど、それがとてつもなく高い壁であることは容易に想像できた。残り4ヶ月でどこまでそれを弾きこなせるか思い巡らせては、遠い、遠い、果てしない夢のような感覚を味わっていた。

8月の終わり、鉢伏山での夏合宿中盤のある夜、宿舎の1室にVaパートで集まって小さな宴会を開いていた時、途中から乱入してきたVnの先輩が、酔っ払って顔を真っ赤にしながら、僕の肩を叩きつつ言った。
「ボウイングには脱力が肝心や」
「朝から晩までボウイングしたらその境地に立てるぞ」


翌日、僕はそれを実際にやってみようと思った。わからないならわからないなりに、今やれることを精一杯。トイレに立つ以外、食事もそこそこに、朝早くから昼、夕方、晩をへて深夜まで、せっせとボウイングに励んだ。明け方になって宿舎のボイラーがとまってしまい、ぬるいというよりはほとんど水に近い風呂につかったかと思えば、またすぐにビオラを手に取り、ボウイングを始めた。

次の日も、そのまた翌日も、結局3日の間ほとんど寝ることもなくぶっ通しで、ただひたすらにボウイング練習を繰り返した。ランナーズ・ハイならぬボウイング・ハイな感覚をおぼろげに感じつつ、「何かが面白くなればいいな!」「視界は開けるのかな?」と期待し、時に疑いの気持ちにさいなまれながらも、とにかく決めたことだしやってみようと。僕のそばを通り過ぎる先輩たちからは「まだやってんの?」といぶかしがられ、同級生たちからは「ようやるわ」とあきれられた。「そんな意地にならんでも」とたしなめられもした。

でも、決して意地になっていたんじゃない。その先に何か“面白いこと”があるんじゃないかと、淡い期待のようなものを感じてたから。そうしたくてしていただけ。そうせざるをえなかっただけ。


最終的に僕は、身も心も疲れきってしまい、脱力の意味もわからず、何の境地に立つことも叶わなかった。その上情けないことに、ずいぶんとムリをしたせいか、高熱を発してフラフラへたりこんでしまった。もちろんその時点では、何も面白いことなんか起こらなかった。遠い遠いむかしの話なのに、あの時どうしてそんなアホなことをしようと思ったのか、当時の気持ちを、感覚としてよく覚えてる。


つまり。


何も知らずにオケに飛び込んでしまった自分が、少しでも音楽や、オケの先輩たちのいる憧れの場所へ近づくため。

1日でも早く。
1秒でも早く。

人なみにビオラという楽器を弾きこなし、未だ知らぬ“おんがく”とやらの境地にたどり着くため。
そうすることでその先にきっと、何か“面白いこと”があると感じたから。

合宿最終日になって、はじめてTuttiなるものに参加した僕は、ほとんどまったく合奏に加わることができず、バツの悪い思いを味わいながらポツンと座っているだけだった。けど、そんな情けない状況下においてさえ、憧れ続けたオーケストラの一員に少しだけ近づけたような気がして、たぶん、そんな気がしただけ…とわかっていながらも、少しだけうれしかった。



合宿から帰ってきて、明らかに僕は変わった。自分の出番のない時でも、興味のない講義の時間も含めて、ほとんど毎日オケ部のBOXに入りびたっては、ボウイングに明け暮れ、スケールを取り、リズムを刻み続けた。単純作業の繰り返しばかりで、それ自体はぶっちゃけ面白くも何ともないし、集中力なんてものもとっくのむかしにどこかへ消えうせていたと思う。でも、とにかく顎にアザを作りつつ、右腕を動かすことだけはやめなかった。


早く、周りのみんなに追いつきたくて。
あの、まばゆいばかりのステージの上で、颯爽とビオラをかき鳴らしたくて。


それが“面白いこと”なのかどうかはあまりよくわかってなかったけど、理由なき期待のようなものにせかされ、寸暇を惜しむかのようにビオラを手に取り続けた。

「何かが始まるかも知れない…。」
「何かつかみかけているのかも知れない…。」

そんな、根拠なき希望=かすかな予感めいたものは、不思議とあった。いつか必ず、何か面白いことがやってくるんだ…みたいな。


その年の12月定演の本番、僕はO.ニコライの「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲に乗った。16分音符の急速で細かい音階パッセージがどうしても弾けなかったけど、最後のヘ長調の重音をフォルティッシモで弾き切った瞬間、

「めっちゃ楽しい!!」

理屈抜きに単純に、はじめてそう思えた。オケ部に入って9ヶ月目、あの時のあの感覚を、今でも鮮明に覚えている。

その後もまるで何かにとりつかれたように、来る日も来る日もビオラを手に取り、譜面とにらめっこして、なんとか人なみに弾けるようになったかな?と感じられたのは、3回生の夏ごろ。ちょうどあのボウイング練習から2年が過ぎた頃だ。その時はその時で、それなりに“面白いこと”が起こっている、との実感はあった。けど、まだまだ。きっと音楽って、オケって、もっともっと深いものだと思った。

オケ部内で渉外委員(オケ連委員)をしていたこともあり、外部とのパイプを活かして他大学のオケ部から声をかけてもらっては、4回生の春定演シーズンから何度となくトラに呼んでいただいた。たくさんの未知の曲に出会い、たくさんの未知の仲間と交流を深めた。1回生の冬、うれし恥ずかしデビュー演奏会で最後の重音を弾ききった時のような幼稚で単純なものとは違う、本当の意味での音楽の楽しさを知ったのもこの頃が最初だったと思う。


でも、まだまだ。
ここではない、さらに遠く。
もっと、先。


あの苦しくてつらいボウイング練習の先にあるはずの“面白い何か”は、もっともっと素晴らしくて、はるかかなたの見果てぬ場所にあると感じていた。ある程度はオケというものを知った気分になり、オケの楽しさ、音楽の素晴らしさとともに、みんなで合わせることの怖さを知るようになっていったのは、もうしばらく後のこと。とにかくまだまだ、“面白い何か”はもっと先にある、もっともっと積み重ねないとやって来ない、と感じてた。


そんなふうにオケや音楽の深いところまで入り込んでいく中でも、僕が忘れず大切にしていたことがある。

入部間もないあの初期の頃に感じた取り残され感や、初めての夏合宿で体験したバカ正直に一途なボウイング練習のつらさ・苦しさ。そういったマイナスの感情・体験。そういったもろもろを、ずっとずっと深く刻んで、絶対に忘れまい!と強く心に書き留めていた。

なぜなら、
人よりも遅く初心者から始めた者が味わうであろうもどかしさや焦り、
オケや音楽といったものに感じてしまうであろう高い壁や届かぬ思い、
取り残され感や置いてけぼり感、
遣る瀬なさやせつなさといった気持ちなどを、
なるべくなら僕の後輩たちには感じさせずにいたい、と思ったから。








声を大にして言いたい。



楽器を手に取るすべてのアマチュア奏者たちは、みな等しく「音楽の楽しさ」を、早期から真っ直ぐ、純粋に知る権利を持っている。


…ゆえに願う。


客席からオーケストラのステージをまばゆく見つめるだけでなく、
その上に立ってライトを浴び、
仲間と共に音をつむぐ得も言われぬ高揚感・音楽のもたらす尽きせぬ感動を、
どうにかして知ってほしい…!!と。
祈るような思いで、そう願う。


僕がvioのレイトスターター奏者たちひとりひとりをリスペクトし、弾ける弾けないについて徹頭徹尾無関心な姿勢を貫くのは、こういった背景があるからにほかならない。


今の僕にとって、アマチュア音楽活動の中心的な位置づけにあるvio。ここに格別のモチベーションを傾け、メンバー個々それぞれに対し、僕の見てきた音楽の深い部分を、ぜひぜひ、知ってほしい。それも、終日ボウイングだけに明け暮れるといったような、楽しくも何ともない回り道を強いることなく。

団体の中である程度指導的な立場にいると、時としてその言葉が宇宙語のように受け取られ、説得力を欠くというジレンマに陥る。つまり、

「どうせあなたは上手ですよ」
「私たちとは別の存在ですよ」

そんな矮小化されたステレオタイプなカテゴライズが、思いの共有・意志の疎通を邪魔してしまうことがある。もちろん周囲から別世界の存在のように見られてしまっている現実を直視することは必要だろうし、そのような状況を踏まえた上で自らの立ち居振る舞いに留意する必要があることも理解している。vioメンバーよりも早く音楽に親しんできた僕は、それなりに弾いた曲の数も多いし、知識や技量も確かにあるのだとは思う。


けど、僕の見てきた音楽の景色を同じように見てもらいたいと思いこそすれ、1人ぽっちで置き去りにして勝手に進んでいくことは、絶対にない。 





未来永劫、 誓って、 ない。 





初歩的な質問であっても面倒がることなく、そんなことも知らんのか?なんて高飛車な感想も抱かず、むしろ素直な疑問が生まれそれをぶつけてきてくれたことをうれしく受け止め、なるべくわかりやすい言葉で正しく伝わるように、せっせ、せっせと楽典や楽器の専門書なんかを引っ張り出してきては、ああでもないこうでもないといろいろ調べたり考えたりして、長々しい返事で答えようと思う。

目線を同じにしようとしている時点で、それは確かに「上から目線」の姿勢になっているのかも知れない。だが、すくなくとも心情面で「見下す」なんて思いは抱かない。


たとえ話はあまり上手じゃないのだけど、もし仮に、目の前に「音楽」という名前の道があったとするなら、僕はvioメンバーたちの前を先々と進んで歩くのではなく、僕の近くに彼らを引き寄せ、肩でも組んで、手をつなぎつつ、同じ歩幅で共に歩いていきたいと思っている。

それはどういうことかというと…


大学入学後、これまでにいろんな感情とともにつみ重ねてきた、僕なりのオケの思い出や、音楽的な知識や感動の記憶の数々は、大人になってから僕より少しだけ遅れて楽器を手に取り、僕と出会い、仲良くなったvioメンバーのためにある。 


あの夏合宿のボウイング練習、「その先に何か“面白いこと”があるはず」と感じてきた、その“面白いこと”とは何なのか。とりもなおさず今、2か月に3度ばかりいっしょに楽器をたずさえて練習にいそしみ、音楽を間にはさんでとりとめもなく話したりする、ホンワカと充実した“vioメンバーとの音楽の時間”のことだったのだ。

僕の待ち受けていた“面白いこと”が、vioには確かに存在する。やっと見つけた!という気持ちとともに、vioで過ごす音楽の時間が存在する。あのボウイング練習の先に存在すると信じていた“面白いこと”を、 vioの仲間とともにつむぎ出すアンサンブルを、そこに集う人々とともに享受したい。ただ、ただ、せつにそう願うのだ。



実のところ、僕はビオラを手にしてずいぶんと長い時間を過ごしてきたけど、正直自分の弾けなさ加減がイヤになることが多々あった。思い描いた音楽の景色に到達できない自分の未熟さに嫌気がさし、心底ビオラを、音楽を楽しめたという実感を、白状すればあまり感じられたためしがない。

ありていに言えば、今現在においても、僕がビオラを弾くことは、全部が全部楽しいことばかりではないのかも知れない。追い求めて恋焦がれ、それでも叶わぬ“音楽への憧れ”を抱いたまま、現実には妥協を重ねつつ、釈然としない気持ちで音符をなぞっていることの方が多いのかもしれない。


けど今、vioメンバーと共に過ごす楽しい音楽の時間、満ち足りたアンサンブルの瞬間、そういったものが今まで僕が音楽をやってきた結果として、何か“面白いこと”として存在するのだと、素直に思える。

ここに記した思いの数々は、もしかしたら大げさに聞こえるのかも知れない。けど、僕はごく自然に、素直にそう考えている。だからvioメンバーにも、純粋にこの思いを受け入れてもらいたいのだ。ただだ痛切にそう願う。これまでの僕のオケ活動や音楽的な経験は、vioでの合奏の充実のためにあったのだから。


音楽に触れて楽しかったこと、つらかったこと、感動したこと、
音楽のもたらすあたたかさ、淋しさ、喜びや悲しみの感情、
音楽を通じて僕の身の上に起こったたくさんの素敵な出来事などを、
これから先もずっと、vioメンバーと共に大切に温めていきたい。 


少しでも多く、正しく、
僕の知っている音楽の素晴らしさや楽しさを伝えたい。
何でもいい、わずかでもいいから、
音楽の感動の断片、音楽ってホント楽しいということを、
少しでも多く分かち合いたい。


忘れてはいけない大切なこと、それは、音楽を始めるのに早いor遅いなんてのは別にどうでもいいことだし、音楽に親しむ上では、知識や素養の深さなんてのも、結局はたいした問題でもないということ。

音程が…ボウイングが…指回しが…etc…etc…。そんなもん、必要以上に気にするようなことではない。課題があるなら一個ずつ、ともに取組みつつモノにしていけばいいだけのこと。弾けないなら弾けるようになるだけのこと。そこに何の義務感も、強制めいたものも介在させはしない。



ほどなく開幕を迎えるサッカーW杯になぞらえて言うならば。
「ゴールを決めるのが美しいのではない。シュートする行為そのものが美しいのだ。」



あるいはフルトヴェングラーの遺したかの至言。
「音楽は、人の中にあるのではない。音楽は、人と人との間にある。」



弾けてナンボのオケ社会という表現をするならば、それは確かにそうだろう。楽器を弾けずして音楽を楽しむことはできない。だが、弾けないことを理由に音楽を楽しませない状況を生んでいるとすれば、あるいはそういった状況が常態化しているとしたら、その団体は間違っている。すくなくとも僕は、そう思う。

弾けない状況からいかに向上し、楽しい音楽の世界にたどり着けるか?真に必要不可欠なのは、課題に取り組んでいく過程においてマイナスを補い、ともに楽しみ、歩んで行こうとする“仲間”がいるか、いないか?ただその一点のみだと、僕は信じて疑わない。


だから僕は、vioの中でそういった“仲間”として認めてもらえるように、この先もずっとトライ&エラーを続けていこうと思う。愚直にやり続けていこうと思っている。ともに歩むのだというブレない思いを強く抱き、根気強くかかわり続ける。楽器に触れ音楽に親しむことで得られる“面白いこと”を、vioメンバーたちと分かち合い、ともに成長していけるよう尽くし、働きかけていく。



僕の見てきた素晴らしい音楽の景色を、みんなで一緒に楽しんでいくために。








ヨソの団体がどうなのかは知らない。けど、確かに言える、決してブレることのない真実。


【 vioにおいては、
 弾けないことは罪ではない。】









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