2015/01/28

テンポの取り方の誤解を解く



※今回のノート、賛否両論あると思います。

 アンサンブルをしていると、「走るな!」とか「間延びしている!」と指摘されることがあります。そういったケースにおいて、どのような解決策があるでしょうか?

 よくあるアドバイスで、
「細かく数えてカウントしましょう」
というのがあります。例えば4拍子で4分音符が4つ並ぶ単純な音形。これが、どうも走ったり遅れたりしてしまう。そんな時に「心の中で8分音符をカウントして下さい」との指摘を受けるパターン。「ターン、ターン、ターン、ターン」と数えるのではなく、「タタ、タタ、タタ、タタ」みたいに細かく数えなさい、ということですね。

 ケース・バイ・ケースではありますが、僕は基本的にはこれには反対です。

 僕が出会った指揮者・トレーナーのほとんどが、テンポが崩れてしまうときに、こういった作業をくり返しました。もちろん、それでうまくいく場合もあります。しかし、どうしてもそれではダメな場合も多いのです。タテが揃ったところで、何かが違う。…これが僕の大きな疑問でした。

 僕自身、テンポを一定に保つために頭の中でメトロノームを鳴らしていた時期が長かったですし(余談ですが、僕は音楽表現を高める上でメトロノームほど有害なものはないと信じて疑いません)、オケやパートに練習をつけるときにはそのようにしていました。しかし、ダメなところはダメなのです。そして自分のやり方を棚に上げて、「ああ、テンポ感のない集団だな…。」などと嘆いたものです。

 ところがある時、ある指揮者でMozartのKV136を演奏しました。ある場所にさしかかると、例によって2ndばよりんが走り始めました。指揮者は演奏を止め、「運動会ちゃうねんから…」とひと言。もう一度、やり直しです。くだんの場所にさしかかると、先ほどは4つに振っていたのに、なんと2つ振りにしてしまいました。すると2ndさんたち、走らないのです。まるでマジックを見ているようでした。

 それはまさに、僕にとってメトロノーム式のテンポの取り方や、必要以上に細かくリズムを叩いて(感じて)テンポを調整しようとする方法を、はじめて疑問視した瞬間でした。つまり、そういった練習法は「音楽的でない」ということです

 例えば2拍子の曲なのに、1小節を4つに分けてテンポを取ると、いわゆる拍子感が狂ってしまい、音楽的に非常におかしなものになってしまうのです。もちろん、そういった作業が「テンポが安定するまでの必要悪」だ、と割り切る向きもあるでしょう。ところが正しい答えは違っていた。「テンポの安定」ではなく「音楽の安定」を目指す。…これではないかと。

 人間は誰しも、それほど器用ではありません。以前どこかのTV番組だかで「60秒を正確に数えられたら100万円」とかいう実験(記憶あいまい)をしていましたが、なかなか難しそうです。僕自身ムキになって挑戦したこともありますが、ほぼ正確にできこそすれ、1秒ほどの誤差は必ず出てしまいます。つまり、「なんの基準もなく単にテンポを取ることはとっても難しい」ことなのです。それに気がつくと、「ちゃんと自分の中でメトロノームを鳴らして!」という指示が、いかに難易度の高い大変なことか、よくわかりました。

 それからは、全く正反対のトレーニングをするようになりました。走ってしまうところは「音楽の流れ」に沿って、なるべく大きな拍を感じるようにしたのです。すると、効果テキメン!演奏する側に立って実感したのですが、一定のテンポを頭できざむことより、はるかに理解しやすいし音楽としても自然なのです。

 走ってしまう場所では、たいがい焦って視野が狭くなっているものです。そこにさらに、細かくリズムを刻むなんて難易度の高いタスクを課すことは、現実的には不可能なのかもしれません。テンポが安定しないところほど、音楽をよく理解し、大きな流れを身体で感じることによって、音楽を安定させることが必要なのではないでしょうか


(補足:ただし、「さらえていない・弾けないから走る・遅れる」という場合は事情が異なるのは当然です。こういった場合は、まず正確にさらえるようになることが先決なのは言うまでもありません。その過程の中で「細かく刻んで少しずつ速くしていく」という練習があっても良いでしょう。その点、誤解があってはならないので念のため。)

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