2014/12/04

トップに寄す(あるべき姿)


 今回は府大オケOBとして後輩相手にチョーシぶっこいていた時に記したテキストを。思いっきり上から目線で偉そうに語っていますが、言葉尻はともかく内容については今なお僕の音楽活動の根幹を為す部分が多々含まれています。自身の覚書きの意図も含め、公開させていただきます。
なにかしらヒントになればいいな、と思いつつ。

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 府大オケ現役時代に、僕はびよらパートの首席をつとめた。特段ウデがよかったわけでも何でもない。運営体制上、例年3回生がトップをつとめるのが慣わしだったので、その例にもれなかっただけである。そして当然のごとく、びよらのパート練習を企画・立案し進行する役目も担った。今にして思えばなんとも稚拙な練習を繰り返していたように思う。無論その時その時点でのベストを尽くし、精一杯悩みつつ必死で取り組んでいたことは確かなのだが。

 今あらためて思うのだが、オケでの各パート首席奏者(以下トップ)とは、いったい何なのか。本稿では、僕の経験則から具体的な考察を加えていきたい。


■そもそも論としてトップとは?


【トップは弾けて当たり前??】
 よく耳にする言葉である。ならば問う。トップ以外はどうなのか?トップとその他の各奏者を、弾ける弾けないという尺度で区別(むしろ差別)するのはおかしい。オケに参加する者すべて、弾けることを目指し切磋琢磨するのが自然だ。あえて言えば「全員が弾けて当たり前」ということになるだろう。弾けないことを罪に問い、追い詰めるための文言としてのみ「弾けて当たり前」といった体育会系・根性論的な決まり文句が存在するだけである。根性で音楽はできない。「情熱」こそが重要であり、これは精神論的な「根性」などとはまた別のものである。

 確かにある程度の締め付けや強迫観念があった方が火事場の馬鹿力は発揮されやすいのだろうが、芸術的創造である音楽活動の根底に、そのような“信賞必罰”じみた要素が介在することは、本来的には好ましくない。よってモチベーションを下げ、萎縮させ、情熱をそぐかのような「弾けて当たり前」という表現に、僕個人としてはあまり価値を見出せない。

【トップはパートのリーダーだ!!】
 これぞ好ましく、かつ正しい表現である。技術レベルも音楽的成熟度もマチマチなパート内各奏者をまとめあげ、パートとして機能するよう持っていくリーダーこそが、トップの真髄である。

 そしてリーダーである以上、他の各奏者よりも抜きん出た存在でなくてはならない。技術や音楽性はもちろんのこと、むしろ統率力やリーダーシップといった「人間力」が備わっていることが望ましい。技術レベルに多少の難があっても、僕はやはり人間的な深みのある者がトップを務めるのがベストだと思う。アイデア豊富で行動力や実行力があるというバイタリティ面、決断力や判断力・洞察力や注意力といったポテンシャル面についても、高ければ高いほど望ましい。そしてこれらは努力により、すべて体得可能な能力である。生来の性格は変えられなくても、キャラは変えられるはずだと信じたい。自覚と責任感、そしてやりがいさえしっかりと持っていれば、役職や肩書きによって人は成長できるものだから。


■初志貫徹の精神


 トップは初見合わせの段階から、本番での到達点について明確にイメージし、絶対に妥協しないことが肝要である。

 演奏会本番まで、時間をフルに使って音楽的向上を図る姿勢を忘れてはならない。そもそも選曲段階において、多少の無理を承知で演目を決定した以上は、いざ練習する段になって「無理だ」「出来っこない」などと弱音を吐くのは矛盾しているし、建設的ではない。そのような姿勢で楽器を手に取っても生産性に著しく欠けるし、時間労力の浪費になるのがオチである。仮にあなたがその曲に対して反対のスタンスであったとしても、多数決であれ何であれ決定した以上はオーケストラ全員で音楽的成功を目指すことに変わりはない。

 やるからには妥協しない姿勢を、トップは持つべきである。逃げ道を作るのではなく、いかにして高みに登るか考えることが役割だ。とにかく最初から出来ないまま終わらせようとさえしなければ、それは妥協していることにはならない。みんなが後ろ向きになっている時でも、最後まで前を向いて進もうとすること。最後の砦として初志貫徹の精神を貫くべし。パート内の奏者たちにも、同じような意識付けをして欲しいと思う。


■パート員に発言させる


 もしもあなたが音楽的に突出した名手であるならば、この項目は読み飛ばしていただいてもよい。いわゆる「トレーナー役」として、指導的立場からパート練習を行えばいいのである。

 しかしそうでない場合、パート員と共に音楽を作り上げていくことが望ましいと僕は考える。先生と生徒の関係になってしまうと、身の丈に合わない役を強いられたトップは八方ふさがりの苦境の中で出口を見つけられずさまようだけだし、受動的立場の甘い蜜の中に投げ出されたパート員の自主性も伸びないだろうからだ。

 僕は、トップとパート員は対等に近い位置関係にあってもよいと考えている。むしろ、そうあることが望ましいとすら。もちろん、トップが文字通りパートの首席であることに変わりはないが、かといってパート員が単なる「生徒役」・「指導を受ける立場の者」であっては、アマオケをやっていく上で面白みがない。「トップは弾けて当たり前」だの、「トップは指導的立場にいるべき」だの、盲目的に使い古された建前論について、僕はここで触れるつもりはまったくない。

 だから本稿では、あくまでも現実的・具体的なパート練習の手法について述べるのみである。トップの本分や役割・責任・使命や重荷について、無論すべて否定するつもりはないが、重い荷物ならパート員も共に手伝って持ち上げるのが効率的だとは言えないか。トップがパート練習を作り、パート員が参加する、という構図を僕はあまりおすすめしない。パート員たちにぜひ、持っておいて欲しい意識は、「オケに参加しているのではない。オケを作っているのだ」という気概である。トップもパート員も、単なる参加者ではないのだ。

 そういった面からも、パート練習ではパート員が思っていることや浮かんだアイデアを、忌憚なく述べられる状況を作り出すことが望ましい。まさに「三人寄れば文殊の知恵」である。

 ただし、誤解があってはいけないので念のため触れておくが、これは甘えや馴れ合いを前提とした単なる「責任の分散化」を意図してのものではない。トップがイニシアチブを握ってパート練習を企画・立案し、進行・進化させていくことは、動かしがたい当然の前提である。「パート員に発言させる」とはつまり、「パート員の参画意識をあおる」ということなのだ。単なる仲良しサークル的なナァナァ発言はいただけないが、ふとした思いやアイデア・疑問などを、誰もが素直に、自発的に口に出すことができれば、パートとしてメリットがあると思うのだがいかがだろうか。


■指示は大げさに


<case.1>
 長い音符や、下降音型の部分などは、デクレッシェンドに聞こえてしまうことが多い。そこでトップは指摘を行うのだが、「デクレッシェンドしないで下さい」などと当たり前の台詞を言ってもほとんど効果が見込めないケースがある。ならば大げさに「そこにクレッシェンドを書いておいてください」と言えばよい。

<case.2>
 また、シンコペーションがイン・テンポで進まず後ろに後ろに寄っていく時などは、トップの手拍子に合わせて弾かせながら、途中から意図的にテンポを少しづつ上げていく。前に前にリズムをつかませるために、遅れている状態をわざと作り出して意識・理解させ、相対的に拍を前取りする習慣をつけさせるのである。

<case.3>
 打ち込みの音符の長さが短くなりがちなケースも多々ある。そのような時は、譜点をつけたり2倍の長さの音で弾かせれば良い。「ここの8分音符は4分音符のつもりで弾いて下さい」のたぐいの発言である。

 言ってしまえば、楽譜は単なる記号の羅列である。音楽を紙の上に書き記したものに過ぎない。大切なのは、そこから出てくる「音」そのもののはずだ。音楽的にどのような効果を狙って書かれたものかを、トップがきちんとくみ取り、イメージを具体的な言葉に置き換えて伝えることが必要だ。そして重要なのは、伝えようとした何かが正確に「伝わっているか」否かということである。

 「伝える」のではなく、「伝わる」ようにする。そのためには、指示は抽象的であってはならない。時として大げさな表現も使うべきだ。パート員それぞれに、感じ方も弾き方もバラバラだから、それを統一しまとめるためにパート練習がある。遠慮がちに煮え切らない言葉で指示を与えても、その感じ方は人それぞれだ。中途半端な台詞では、かえってバラバラな音になってしまったり、互いが疑心暗鬼になって、わかったようなわからないような気持ちで弾くことにもなりかねない。あるいはたまたまその場ではうまくいったとしても、それはただの偶然であって、すぐに忘れて無に帰すことは明白だ。

 パート練習で指示を出す際は、大げさに、具体的に。思い切った表現で伝えるべきを伝え、中途半端な指示は、出さないこと。そしてどんな金言・的を射た指示であっても、伝わらなければただの一人相撲であるということ。いずれも、常に意識し肝に銘じておくべきことである。


■パート練習と個別指導を使い分ける


 様々なレベルの奏者が合同で練習する以上、個々の間に埋めがたい「差」があるケースが多い。パート練習に限らず、複数の人が集う合同練習の場において頭を悩ませる問題として、弾ける人と弾けない人のいずれに合わせて進めていくか、という悩みが出てくることもあるだろう。こういったケースでは、僕は迷わず弾ける人に練習レベルを合わせることをすすめたい。

 大前提として弾けない人に悪意や罪はないことを最初に断っておくが、かといって弾ける人に時間労力の無駄を強いるのもおかしな話だ。弾けない人は弾けない人なりに、たとえば落ちても食い下がってついていく訓練を積むべきだし、たとえ現状弾けないとしても、本来どんな風に弾けばよいのか参考にすればよい。自分が弾けない部分を他の人が現実に音にしている場に遭遇すれば、それこそ実例として目や耳に焼き付けることが出来るのだし、音の並びや流れの具体的イメージを理解する絶好の場ととらえればいいのだ。よってパート練習の場では、弾けない人のことをさほど気にかける必要はないと、僕は考える。最終的には、弾ける人・弾けない人いずれにとっても、時間労力を浪費したと思わせないような、密度の濃いパート練習をするように心がける方が、大切なのだ。

 そして、その上で弾けない人には明確な課題を、明確な期限をつけて出す。出した上で、期限が来た時の個別チェックはもちろんのこと、それ以前の時点から個別フォローをしっかり取る。弾けない箇所やつまづいている原因は個々それぞれ違うだろうから、共に練習法を考えたり、アドバイスを加えることもトップの役割のひとつだ。パート員の抱える問題に対して適切な回答を与えられればベストだが、共に悩んだり話を聞いてあげるだけでもよい。必ずしもカッコよく解決してあげる必要はない。

 要はパート員のモチベーションを向上させてやりさえすれば、後は本人次第、本人の努力の問題である。つまるところ、演奏するのはその人自身だし、過保護に手取り足取り指導したところで、長い目で見れば必ずしもその人のためになるとは言えない。これはいわゆるマンツーマン指導という手法だが、もとよりトップはレッスンをつける先生ではないのだから、尻を叩き本人の向上心をあおることに目標を置けばいいのだ。

 よって、特に時間を長くかける必要はない。わずかの時間、わずかの言葉であっても、本人のやる気を引き出すことに成功したなら、それで目的は達せられたことになる。それに、弾けないことに劣等感や危機感を感じているパート員と積極的に関わりを持ち、現況を把握することで、パート員はもとよりトップ自身のメリットになる面も多々あるものだ。たとえば、1対1で向かい合っている以上、みんなの前では聞けない個人的な不満や悩みなども打ち明けてもらえるケースもありうる。機械的・義務的な動機からマンツーマン対応を取るのではなく、パート員個々の顔を浮かべてそれぞれに関心を持ち、理屈でははかれないウェットな人間関係の領域に踏み込むことが出来れば、たとえ広く浅くであっても、個別フォローを取ることがいかに意義深いものであるかを実感するようになるだろう。

 パート員との物理的・精神的な距離を縮め、信頼関係を構築する上でも、個別フォローの効果は極めて大きい。


■指揮者・コンマスとの連絡を密に持つ


 パート練習は、目的ではない。オケで音楽を創造する上での、手段のひとつに過ぎない。これは常に念頭に置くべきである。音楽の創造のために全体練習があり、全体練習の準備のためにセクション分奏・パート練習があるのだ。この図式を、しっかり理解しておきたい。

 よって、オケとしての音楽創造を図る過程の中で、パート練習がどこにどのように当てはめられるかを、すべての練習との相関関係の中で理解・把握し、定義づけておく必要がある。全体の中の一部としてパート練習が完結することは必須だが、単にパート練習そのものが単独で完結していてはならない。つまり、パート練習で出来ることは全体練習でする必要はないし、全体練習で出来ることはパート練習でする必要はないということだ。それぞれの練習の役割分担(住み分け)を明確にするべく、パート練習で出来ることと出来ないこと、やるべきこととやる必要のないことをトップがきちんと把握し、全体練習を進める指揮者やセクション分奏を進めるコンマスと連絡を取り合うことが必要になってくるのである。これを怠ると、非常に非効率的な練習計画になってしまいかねない。

 全体練習やセクション練習にダイレクトにつながるような、効果的なパート練習を企画・立案し実行する上でも、肩書きを持った者同士で連携を取り合い、パート練習の目的や目指すべき到達点を明確にしておかなければならない。方向性がハッキリしていれば、回り道することなく密度の濃い練習を実現できることにもつながるであろう。ひいてはパート員個々も、パート練習でしかるべき準備を行い研鑽を積んだ上で全体練習やセクション練習に臨むことができ、オケとしての練習効果もより一層高まるであろう。よってトップと指揮者・コンマスは、お互いにいろいろなことを言い合えるような場を、定期的に持つことが望ましい。曲作りというミッションを分担するキーパーソンとして、互いにコミュニケーションを密に取ることも、トップとしての重要な役割のひとつである。


■自信を持つ


 トップは、自信を持つべきである。
 自信を持つには、根拠を持つべきである。
 そして、根拠を持つにはどうすればいいか?

 パート練習を始める前に、トップ合わせを始める前に、あらゆる練習を始める前に、自分はどう弾きたいのかを徹底的に考えておくべきだ。考えて、イメージして、楽器を手に取り、納得いくまでさらう。1つ1つの音のキャラクターが見えるまで、音楽の全体像が見えるまで、とにかく真摯に楽器と向き合う。時間的制約もあろう。ならば、とにかく真摯に曲と、譜面と、音楽と向き合う。イメージを明確に持ち、それを実現するべく身体を、頭を使うのだ。そうしてはじめて、自分の音楽や自分の演奏に根拠が持てるようになり、自信が芽生えるのである。こういった段階を経ていれば、少々の横ヤリや、薄っぺらい指摘に対しても、グラつくことはなくなる。

 迷わないこと。人の意見に流されないこと。そうなるために、確固たるものを持つためには、「自分自身をいかに追い込んだか」の記憶とその蓄積が最も有効である。自分で考え抜き、悩み抜いて実現させた何かを多く持っているという事実は、揺るぎない自信につながるものだ。自分が納得できるまで、練習する時間を持つ。悩んだ時ほど楽器を手に取り、自信がもてるまで徹底的に練習すればよい。時間的制約から楽器を手に取る環境が整わないのであれば、スコアなり文献なりを手に取り、音楽に触れる機会をなるべく多く持つよう心がける。そうやって獲得した練習効果や音楽的素養そのものはもちろんのこと、自らを追い込んだという精神的蓄積もまた、目に見えない自信をもたらしてくれるものである。

 かといって傲慢にならないこと。自信を持つのはいいことだが、自信過剰になることはよくない。リーダーたる者が謙虚さを失えば、単なる「裸の王様」に堕ちるのみである。自信と謙虚さの両方が備わっていることは、リーダーとしてのひとつの理想形だ。そして、リーダとしての唯一無二の姿でもある。間違っても過剰な自信に裏づけを得た傲慢な存在として、他者に排他的・排斥的なスタンスを取ったり、自分以外の演奏や音楽解釈に批判的・否定的になることだけは避けたい。オーケストラは、競争社会ではない。ひとつの音楽を創り上げるための、運命共同体なのだ。音楽は、調和の産物である。人と人もまた、調和に向かうべきである。フルトヴェングラーは言った。「大切なものは人間の内部にあるのではなく、人と人との間にある。」(音楽ノート・白水社)


■最後に


最後に、最も大切なことを記しておく。
 「パート員を信じること」
 「自分を信じること」
やはり、これに尽きるだろう。

 何かと気苦労は絶えないだろうし、悩みも不満も多々出てくるだろう。だが、本来のオケ活動においては、トップひとりがそのような重責や重圧にさらされているわけではないのだ。オケ一丸となっていい音楽を目指す以上は、誰もがみな頑張っていけるよう、もっていくべきである。トップだろうが、指揮者・コンマスだろうが、オケの一員。そしてパート員それぞれもまた、れっきとしたオケの一員である。肩書きによる役割分担こそあれ、立場や身分の違いに通じるようなヒエラルキーは存在してはならない。トップとは、「身分」ではない。「立場」でもない。オケ活動に必須の、単なる「役割」のひとつである。

 繰り返しになるが、オケに参加している者などいない。全員がオケを作っている、その一員なのだ。これはもう、当然の前提として常に忘れないよう、心に刻んでおくべきことである。迷った時、悩んだ時ほど、周囲を見渡せばよい。共に努力している人の存在を知る時、いかに勇気付けられるものかを。怠惰にやり過ごしている者を見つけた時、いかに本気で心から叱咤激励してあげようと思えるかを。オケの一員である以上、誰もが努力しようという気持ちは備わっているはずである。だからトップは、常にそんなパート員の気持ちを信じ、彼らの先頭に立って引っ張っていくことが肝要だ。的を射たアドバイスであれ、自らが努力している姿を見せるのであれ、とにかくパート員よりも1歩先んじていること。これぞトップの真髄である。

 そしてもう1つ。人間誰しも、自らが努力を重ねていると自覚する時、とかく他人の歩みは遅く感じるものだ。けど、それは単なる相対評価でしかない。その人ごとのペースや進捗度があることを理解してあげることが肝要だ。オーケストラとして、共に音楽を創り上げていくのである。歩調は個々それぞれに違うこともあろう。しかし、共に歩んでいくことを忘れてはならない。演奏会本番までの時間が無尽蔵にあるわけではない以上、焦ることもあるだろうが、性急に結果だけを求めることは避けたい。他責よりも、自責。まずは自分を省みて、その上で必要な場合にのみ、必要なタイミングで、批判ではなく前向きな意味合いでの他者への指摘を行うとよい。単に怠けている者と、つまづき悩んでいる者とを同列に見てはいけない。リーダーとして、個々の現況をしっかりと見つめ、理解するよう努めていただきたい。そんなトップ・愛され、頼られるトップであり続けて欲しい。

 僕は常々思う。音楽は楽しい。しかし、トップはしんどい…。サジ加減が難しく、困難を極めることも多々あろう。しかし、やるからには覚悟を決めて、精進して欲しいと願う。



いいオケ活動を。


いい音楽を。





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