2014/10/09

まわりを「聴く」ということ



 一つ前の稿「合わせるということ」を受けての補足を。

 チャイコフスキーの弦楽セレナードのような“歌”にあふれたメロディアスな作品を合わせる時のポイントは、
 「旋律を弾いているのか?」
 「旋律を支えているのか?」
自分のパートの役割をはっきりと理解して弾くことです。よく言われる「まわりの音を聴いて」というのは、その箇所における自分の役割を知ることに他なりません。

弦楽アンサンブル曲の多くは、
 「1stが旋律を歌い」
 「内声がハーモニーで厚みを加え」
 「低弦がリズムを作る」
という役割分担上の特徴を持ちますが、例外は多々あります。古典より後の時代の緩徐楽章なんかでは特にそうなのですが、各パートとも随所に旋律の断片や裏方の仕事をこなすべき箇所が出てきますので、その都度自らの役割を“わかった上で”弾くことが求められます。

 また、管打を加えたフル編成オーケストラではなく弦5声だけでアンサンブルし音楽を作るということは、単位が小さいがゆえにそれぞれの役割が非常に重要な意味を持っているということでもあります。1st以外の各パートにも随所に旋律や重要な役どころが割り当てられているがゆえ、その箇所で担っている役割に沿った音を理解し、きちんと弾き分けるようにします。そういった意識がなく曖昧な理解のまま煮え切らない弾き方をしていては、輪郭のぼやけた音を延々羅列するだけになってしまい、まとまりを欠いた退屈な演奏になってしまいます。その結果、なんとなく合わない、合わせづらい事態を招いていることなんかもよくあると思います。

 音で主張するとは、何も歯を食いしばってしゃかりきに弾くことを意味しているのではありません。出るべきところで出るのが“正の主張”なら、引っ込むべきところでしっかりと引っ込むことも、れっきとした“負の主張”です。要するに、メリハリですね。それも、はっきりとした意図の感じられるメリハリです。

 たとえば、旋律を弾く時にはp(ピアノ)と書かれていても聴こえないといけません。だからと言って、“正の主張”で強く弾いてはダメ。あくまでもpの指定に忠実に、ささやくようなやさしい音色で耳をそばだてて聴いてもらえるような音楽作りをする必要がある。となると、旋律を弾いているパートの努力だけでは限界がありますね。周囲の協力、つまり伴奏パートがきちんとpの旋律が浮き上がるくらいの“負の主張”で音量・音質をコントロールする必要があります。
 同様に、伴奏パートがf(フォルテ)指定で書かれてある箇所では、f(フォルテ)だからといってガツガツと、旋律に覆いかぶさってしまうくらいの音量で弾いてはいけません。逆に旋律パートは、伴奏を追い越すくらいの強い“正の主張”のある音でしっかり弾く必要があります。

 このように、アンサンブルである以上、自分のパートだけ意識していてはダメなのです。自分のパートを弾きながら、同時にまわりを聴くことが重要です。目的は、全体の中の部分という視点を持ち、自分の役割や立場を理解し、わかった上で音を出すこと。それではじめてアンサンブルの完成度は飛躍的に高まる、ということを知っておくことが大事なのです。


 ここまで音量について記してきましたが、それ以外の“合わせる要素”として、音程について触れておきましょう。

 各パートの譜面を横に見たときの音程(つまり旋律線の音程取り)については、各パートそれぞれ個人努力で音程精度を高めていけばよいのですが、スコアを縦に見たときの音の重なり(つまりオケ全体としてのハーモニー)を作る際は、たがいに聴き合って歩み寄るという相互協力の姿勢が不可欠となります。
 この際特に注意すべきポイントは、上の音・下の音、双方が同時に歩み寄るのではなく、どちらが合わせるか役割を知ること。双方が間違った音程であっても、まずは合わせる側と合わせられる側といった具合に明確に役割を振り分けることが大切です。そうやって合わせた上でなおハーモニーがおかしかったなら、合わせられる側が間違っていたということなので最初からやり直す。合わない箇所を含め少し前からゆっくり合わせてみたり、極端にゆっくりすることや、合わない箇所をハーモニーが揃うまで引き伸ばすことなんかも時として有効でしょう。こういった過程を多く踏むことで、音程を正しく聴き分ける耳と、即時対応していく能力が鍛えられていくものだと僕は思います。

 付け加えて言うなら、合わせる側は細かい動きのパート、合わせられる側は長い音符のパートにした方がうまくいくことが多いです。これについてはちょっと考えてみればすぐわかることなのですが、音程の基準が細かく動くと、合わせる側は大変ですよね?長い音符が途中でころころと微妙に音程を変えるというのも変な話ですし。

 音程について、さらに踏み込んでお話ししましょう。vio練習に限りませんが、人と合わせて弾いている時にどちらの音が高いのか低いのか判断つきかねることがよくあります。こういったケースでは、まずはたがいに自分の音を自信を持って出すこと。しっかりと弾いてたがいの音を確認しあわないと、合わせようがありません。音程を合わせてハーモニーを作るということは、双方が頭の中でチューナーを鳴らし、その基準に近づけるということではありません。今鳴らし合っているたがいの音を基準にして歩み寄るということです。ここを間違うと、いつまでたってもハーモニーは揃いません。

 これもよく言われることですが、うまくいかないところをうまくいくようにする上で大切なのは、結果ではなく過程です。うまくいったという結果だけを気にするのではなく、どのようにしたらうまくいくのかという過程を知らなければ、たとえうまくいったとしてもそれは単発的な偶然の産物でしかありません。

 過程を知るということは、つまり方法を知るということです。方法を知るということは、ノウハウを蓄積するということです。ノウハウを蓄積すれば、経験値が上がります。経験値が上がれば、アンサンブル精度は必然的に高まることでしょう。結果至上主義に陥らないためには、正しい手順で試行錯誤を重ねることが最も有効だと僕は思います。

 長々記していますが、要するに自分の役割が何なのか、自分が今どんな立場にいるのかを、まずはきちんと理解しておくことが大切なのです。旋律なのか伴奏なのか?主役なのか脇役なのか?出るべきか引っ込むべきか?支えるのか乗っかるのか?…自分と他パートとの相関関係をきちんと知ることで、音量バランスにも注意がいきますし、メリハリをつける意識も強くなります。自己完結の弾き方で漫然と音合わせしていても、客席には何も伝わりません。
 意識付けのために、たとえば譜面にわかりやすく大きな字で「主役」「脇役」と書き込むなどの工夫をしてみる。演奏中つねに自分が今何の役割なのかをアラームのように感じつつ、弓を立てるor寝かせる、ネックを上げるor下げる、ビブラートをかけるor控える、などといった技術の使い分けをしていけばいいと思います。

 まわりを聴くことの必要性と、その具体的な方法について思うところを記しました。vioでの演奏だけではなく、その他のアンサンブル場面においても何かの参考になれば幸いです。

 

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