2014/10/10

コンサートマスター雑記



 今回は指揮者ではなく、Viola奏者としての雑記を。テーマは、無駄に長い演奏歴を重ねる中、何度か役をいただいたことがあるコンサートマスターについて。

■セレモニーとしての“チューニング”

 
 コンサートマスターの現場での仕事は、オケのピッチを決めることから始まる。つまり、Ob奏者の出すAの基音はコンサートマスターの耳によって評価され、NGであれば数度のトライを敢行した上でOKを出され、次に各Sectionおよび各団員が正しくAを拾っていることを確認し、統一ある発音体を作り上げ、そうやって指揮者を迎え入れ、はじめて演奏に入っていけるのだ。
 
 しかしながら、こと練習の場においては、注意すべきさらにもう一つ重要な意味がある。それはチューニング以前と以後の時間を明確に区切る、つまり「けじめ」をつけるということだ。考えてみれば、チューニングという行為は、単にオケのピッチを揃えるだけでなく、ある意味練習に向けた一つの儀式としての性格を併せ持つ。それまでバラバラに向いていた団員の意識を一つにまとめ、全員が心一つにして音楽をつむぎ出すためのセレモニーとしての要素も忘れてはならない。
しかるにコンサートマスターは、毅然とした態度でセレモニーを進行すべきである。粛々と、かつ毅然として。意識がいまだ外に向いている者がいれば容赦なく指摘して、襟を正すよう求めなくてはならない。
 
 さらに付け加えるならば、一般的に練習開始時刻とは、指揮者が壇上に立って最初の棒を振り下ろす時間を指す。よってそこから逆算してチューニング開始の時間を決めるのが慣例と言える。そのオケの力量や団員の音楽に対する認識・成熟度にもよるが、最低でも5分前にはObの出すAを評価し、それを拾い、全員に向けて基準を提示できるよう務めたいものだ。
 
 多くのアマオケにおいて、このあたりの意識がきわめて薄い現状は憂うべき事態である。よく言われることだが
「約束の時間を正確に守れない者が、
 どうして正確なテンポで演奏できるというのか?」
 

■コンサートマスターの自覚、矜持

 
 コンサートマスターの責任は重大だ。
 
 ずいぶん前のことだが、エーテボリ交響楽団が父ヤルヴィと共に来日した際、プログラムの中にSibeliusの交響曲第5番がサブ゙曲として組み込まれており、その最初の夜が大阪会場だったことがある。主催する新聞社にたまたま知人がいたため、幸運にも前日リハを見学する機会を得た。いざ客席に入ると、ちょうどヤルヴィが日本に来て最初のこの曲の演奏のために練習をつけていたのだが、何度も演った油断からか、それはそれはとてもひどい仕上がりだった。コンサートマスターは何度もHrに注文をつけ、ついには自らそのすぐ隣に立っていろいろと口を挟みながら練習を続けた。
 
 翌日いよいよ本番を迎え、興味深く客席からそのパフォーマンスを眺めていたのだが、これまたヤルヴィの油断か?暗譜が不完全だったか?イージーな勘違いか?そのいずれかわからないながらもミス・アインザッツを連発し、かの名門エーテボリの力量からは考えられないヘマをやらかしてしまった。
 とは言え最終的には総じて無難な演奏で、それなりの感動も得られた出来具合だったのだが、拍手でヤルヴィが舞台袖に消えた後、照明が落ちるやコンサートマスターがHrのところまで飛んでいって何やら怒鳴り出すと、負けてはいないHr、ほかの木管奏者たちも客席の存在を忘れて、押さえた口調ながらも身振り手振りを交えつつ、真剣な表情で口論し始めたのである。
 
 休憩時間にも関わらず薄暗いステージの上で、一部楽団員が喧々諤々言い争いをしているのを見ながら、僕はプロの世界の厳しさをひしひしと感じたものだった。
 
 騒動もようやくおさまりを見せ、すべての楽員が舞台袖に引き下がり幕間の休憩に入った後も、ただ一人ぼう然と席について目の前の譜面をじっと見つめ、うなだれていたコンサートマスター。あの哀愁漂う表情、打ちひしがれた敗者の趣をかもし出す姿が、あれから何年も過ぎた今でも目に焼き付いて離れない。
 

■まとめ

 
 以上みてきたように、コンサートマスターとはオケの一部であって、そうではない。時として孤独であり、指揮者と奏者の板挟みに遭うことも少なくない。幾多の試練と重責を抱え、それゆえ盛況のうちに演奏を終えた瞬間にのみ、至上の喜びを享受できるのだろう。
 
 
 世のすべての楽団のコンサートマスター諸氏に、幸あらんことを!
 
 

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