2014/07/20

私的Beethoven考 PART.3「偉大なる壁」



 第3弾。相変わらず、長いです。

 第九に限らず彼の作品の根本には、何かしら熱く語りかけてくる強烈なメッセージが、脈々と底流しているような気がしています。特にハイリゲンシュタットの遺書を書いた田園以降の作品にそれが色濃い。

 たとえば交響曲第7番。「のだめカンタービレ」のオープニング・テーマとして有名になったあの曲ですね。高嶋ちさ子が「玉入れ」というニックネームをつけるほど(?)彼の作品の中ではわりと馴染みやすい音楽なのですが、一度彼の深い部分を垣間見てしまったらもう、ただの乱痴気騒ぎのトランス曲には聴こえない。ほとばしる生へのエネルギー、人生賛歌とでも呼ぶべきみずみずしい躍動、命あることの喜び。
 2楽章の鬱蒼としたa-molのテーマですら、たぎる血潮のうごめきを感じさせ、内なる生命力にあふれているかのよう。狂乱に満ちた4楽章の爆発的なエネルギーは、まるで
 「さぁ!人生を謳歌しよう!」
と血ヘド吐きながら叫んでいる彼の精神そのものかも知れません。フォルティッシシモで連打されるA-Durの強烈な拍動の向こうに、人生のつらさや苦しさ、そして素晴らしさを熱烈に訴えかける彼なりの精いっぱいのエールが聴こえます。身長160cmほどのアバタ顔した難聴の小男が、こんな熱い曲を書き残したなんて…!

 余談ですが、日本では第5番「運命」の知名度が高く第7番はそれほどでもないのですが、西洋ではBeethovenと言えば圧倒的に第7番です

 正直、ものすごい高みを感じます。とてつもなく高い壁。Beethovenに関する何かに触れてしまうたび、僕は彼と彼の作品に近寄りがたい崇高な精神を垣間見る。ホント、時にはもう、自分の小ささにウンザリしてしまうくらい。僕自身の人間としての限界や底の浅さ、軽薄さとかいったいろんなマイナスを、白日のもとあらいざらい並べ立てて突きつけられてくるような感覚です。

 彼に関するいろんな本を読んで研究したり、音楽についての知見を深めたり広めたりしても、きっと僕はこの先どうがんばっても彼の本当に描きたかったであろう世界を見ることはできない気がする。ビオラを手にして20年余、追いかけても届くことのなかった、それはそれは高い壁。

 よく思いました。もうちょっとでいいから、一般の人にも受け入れられやすい音楽で、その内面の慈愛に満ちた勇気の断片を示してくれてたなら。もう少しだけでもスマートに、そしてもっとストレートに、人類にとって貴重なメッセージになったであろう深い精神性を、言いたいようにスッと言える素直さがあったなら。なんでそんなに不器用にしか作曲できなかったのか…と。

 天才ではないけれど、間違いなく偉大な作曲家です。あまりにも偉大すぎて、気安く接することができないくらいの巨匠。だからつい、聴くにしても、弾くにしても、僕は常にワケもなく身構えてしまう。たとえばコンポのPLAYボタンを押す前に、Brahmsならハンカチを手に「さぁ泣くぞ」と気持ちの整理をつけるだけで味わえるのに、彼の作品を聞く前には部屋をきちんと掃除しホコリひとつない状態にして、自らの生きざまを振り返り、ウム恥ずかしいことはしてないぞと胸を張り、背筋伸ばして襟を正して…みたいなたいそうな準備をしいられてる気分になる(あくまでも気分だけです、実際にはしないけど)。で、ひとたび音楽が流れだすと、下手な訓示や説教よりも強烈なメッセージが胸に響き、できることなら触れてほしくないと思っている深い部分に、彼の音楽は鉄の意志を持ってどんどん入り込んでくる。だから、ついつい反射的に拒絶してしまう。

 そりゃまあ確かに世紀の名作として脈々と長い年月評価されてきたわけだし、素晴らしい作品群ではあるのでしょうけど、Mozartと比較すれば洗練なんてどこ吹く風、音楽書法も頑固に同じことを念押しするしか能がない。どこまでも無骨で、意思表示の下手クソな人。だから表面的に彼の音楽を聴いている限りは、なかなかその良さは見つけられないのかも知れない。

 でも、そこまで彼のことをわかってあげた上で、根気強くこちらから歩み寄っていくと、彼が本当に言いたかったことや伝えたかった思い、表現したかった物語や、その目に映っていたであろう景色なんかが、わずかずつにでも浮かんできたり見えてきたりするんじゃないかな?
そんな淡い期待を込めながら、時おり彼の音楽に触れようとして、やっぱアカンかったか…と何度も玉砕してきました。でもごくまれに、天国を見ることもあった。好きか嫌いかと問われても、単純にその二択で答えることなんてできない。僕にとってはどうしようもなく厄介な、そんな存在。

 こういった様々な思いが転じて、彼と彼にまつわるすべてを苦手に感じ、関わりたくなくなってしまうんです。彼のことを理解したい気持ちもなくはないのですが、知ってしまうと僕自身がとてつもなくしんどくなるような気がして怖い、というのもある。事実、これまでにも何度となく、わずかに片鱗に触れただけで、ものすごく精神的にしんどい気持ちを感じてきた過去がある。

 言うまでもなくこれは、僕のごくごく私的なBeethoven評です。賛同を強いるつもりはまったくありません。ともあれここまで読んでくれて感謝。もしこの独断と偏見に満ちたLVB評に何かしら感化されるところがあったなら、今よりももう少しだけ彼とその音楽に興味を持って、これまでと少し違う視点で接していただけたらいいな、なんてふうに思っています。

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