2012/09/29

【音楽を表現する力】



音楽を表現する力。…大別すれば、それは「感性」と「技術」。この2つの要素を高いレベルで備えていることが理想とされます。バイクで言えば前輪と後輪のようなもので、いずれか1つが欠けても走れない。 …と、ここであらためて疑問。

本当に走れないのか?

僕には技術はありません。今までずっと、片輪がパンクしたままビオラを弾いてきました。学生時代にレッスンをサボりまくり、誤った練習法を重ね、自己流の弾き方を身につけてしまったため、表現力の要であるヴィブラートに致命的な欠点がある。かつては音楽とは対極にある陸上や野球に打ち込んでいたため、当然のことながら音感も素養もない。「弘法も筆を選ぶ」と言われるこの世界にあって、長らく連れ添ってきた黄色いビオラも決してよい「筆」とは言えない。

けど、美しい音色・繊細なヴィブラート・豊かな音量などといった、楽器を上手に演奏するための技術が備わっていることは、いずれも重要な要素ではあるにせよ、それがすべてではない。 多少の強がりをはらみつつ、そう信じている僕は、上手な奏者にはなれなかったけど、表現力のある奏者でありたいと思ってきました。

だから技術以前に僕がビオラを弾く上で大切にしているのは、“自分が表現したいものが何なのか”を明確にイメージするチ力ラ。表現したい何かがハッキリしていないということは、行き着く先がわからないまま、地図も持たずに壊れた羅針盤をたよりに旅を続けるようなものだから。

僕がこれまでにあくせくとさらってきた曲には、それぞれ表現したいイメージが明確にあります。明確なイメージを持つために、まず曲に対する意識を高めるようとする。その曲に込められた意味やストーリーを自分なりに理解し、全体を眺め構成しようと思う。作曲家の意図を理解することも大事ですが、単なる書き写しコピーになってしまわないためにも、まずは、自分なりの解釈でもいいから曲のイメージを自分の言葉で持とうとする。

楽器を手に取ることで音楽と親しみ、
練習を重ねて演奏技術の向上をはかり、
さらには音楽性を追及することで自己表現の幅を広げる。
…それは、アマチュア奏者すべての理想であり、目標とするところ。

ときどき作曲家に対して、クラシック音楽というものに対して、言い知れぬ畏怖や、高い壁を感じます。
 「もしかしたら、届かないんじゃないか?」
漠然とそう気づきながら、それでもあきらめきれずに手を伸ばし、強くて冷たい雨に打たせたままでいる…そんな、言い知れぬせつなさを感じたりもします。

僕がビオラを弾くことは、実のところ、全部が全部楽しいことばかりではありません。追い求めて、恋焦がれ、でもかなわないあこがれを抱いたまま、現実には妥協を重ねつつ、釈然としない気持ちで音符をなぞっていることの方が多いのかもしれない。
普段折に触れて語る僕なりの音楽論、作曲家や作品に関する解説にみられるように、もしかしたら、他の人からすれば「なんて遠回りなことを考えながら弾いているんだ?」と思われても仕方のない、無駄に終わるかもしれない気の遠くなるような面倒くさい作業を試みたりします。

とうてい叶わないかも知れない、という不安をかき消すために。その一方で、そんな作業自体もまた、音楽の楽しみの1つだと時々は実感もしつつ。面倒を面倒と感じることなく、目の前に現れるすべての譜面についてそんなことをやろうとする。

表現したいものをイメージし、いかにそれを結果(出てくる音)につなげるか?言葉を換えれば、譜面という台本にそって自分を演出する意識。演出とは、技術的なことに置き換えて言えば、抑揚やメリハリの構成です。音質・音色・強弱・ヴィブラート、テンポの揺れ、etc…。
できるorできないはともかく、そういった技術的な側面からその音楽のことを考え、自分の持てる引き出しからどんなパーツを取り出してはめ込むか?跳ね弓かベタ弓か、速い弓か遅い弓か、湿った音か乾燥した音か、etc…。
引出しの中に蓄えたパーツが少ない分、イメージの幅をなるべく広げて、いろいろなパーツを組み合わせたりしながら1つ1つ音をつむぐ。 あるいは今は手もとになくても、がんばったら何とか手の届きそうなパーツを求めて、新たに獲得するための努力を、飽かず重ねる。

自己表現するために、自己をしっかり持つことから始める。

そして僕は伴奏楽器のビオラを弾いているから、旋律楽器のヴァイオリンやチェロの人たちのことを知りたいと思い、周囲の人々のことをきちんと理解したいと考える。時にいらぬおせっかいとは思いつつ、音楽にまつわる話を聞いてもらおうとする。

僕にとって楽器とは、思いを音楽に乗せて自己表現するためのイチ手段でしかありません。楽器を上手に弾くことそのものよりも、楽器で自分の中の何を伝えるのかが大切だと思うから。

つねに気にかけていることは、 「何のために、どう演奏するのか?」ってこと。 「誰のために、何を届けたいのか?」と言い換えることもできるかな。 音楽であれ、小説やエッセイであれ、僕にすればすべて同じことなのです。

僕なりの「表現力」の本質は、こういったところです。 文字にするとたいそうだなあ。あくまでも自己表現の一つの手段として、趣味の領域でビオラを手に取ります。

みなさんはどうですか?
どういった感覚で、何を思い、何のために譜面と対峙し、
音楽に向き合っていますか?

そんなことを浮かべつつ、今日もまた、飽かず僕は楽器を手に取り、練習の場に向かいます。

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